2月6日にトルコ・シリアで大地震が発生してから約1カ月が経ちました。
犠牲者は5万人を超え、200万人近くの人々が避難生活を送っています。
仮設住宅はわずかしか供給されておらず、多くの人がテントや屋外での暮らしを余儀なくされています。
こうした被災地域から親類や家族のいる日本へと避難してくる人が増えています。
私たちが活動する埼玉県川口市・蕨市でも、トルコから避難するクルド人が増えています。
川口市・蕨市に暮らすクルド人は、トルコ政府の弾圧を逃れて日本に来ています。
ほとんどの人が難民申請をしていますが、難民として認められた人はたった1人しかいません。
仮放免という制限のある条件下で暮らしている人も多く、そうした中で今回の被災者を受け入れています。
私たちは3月6日、「難民問題に関する議員懇談会」の総会に参加し、国会議員の方々に今回の地震被害の実態を伝えました。
最初に周香織さんがトルコ現地から送られてきた写真をスライド上映し、被災状況を報告。
続けてトルコから避難したクルド人家族が、自らが撮影した現地の写真を示しながら話をしました。
被災した20代のクルド人女性は、地震直後に、倒壊した建物のがれきの中から、助けを呼ぶ声、うめき声、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたが、どうすることもできなかったと涙ぐみながら話しました。
「数日するとがれきの下の声は聞こえなくなった。遺体から発せられる腐臭が街のいたる所に漂ってきた。野生の狼が来て遺体を食べることもあった。二次被害を防ぐため、どの建物も立ち入り禁止とされた。周囲には50cmもの雪が積もっており、厳寒の中、避難生活を送った。夜は21時を過ぎるとマイナス17度にもなり屋外にいると凍死の危険があった。他の人が貸してくれたバスの中に交代で入り、休んだ。余震が続く被災地から、知人を頼って首都アンカラに移動し、1週間泊めてもらった。しかし、ずっとそこにいる訳にもいかず、日本にいる父親のもとに行くことにした」
トルコから来日した家族は3カ月間の滞在資格しかなく、たとえ帰国を促されたとしても現地で生活することはできない状態です。
熊澤新さんは、こうした被災者を追い返すことなく「緊急避難措置」によって在留資格を与え、日本で生活できるようにしてほしいと要望しました。
また、トルコ現地で支援が行き渡らず過酷な状況が続く中、日本にいるクルドの人たちは現地の人に届くようにと懸命に支援を続けています。
日本社会の関心も高く、街頭募金には多くの人たちが寄付を寄せてくれました。
そうした人道的な支援の繋がりを断ち切ることがないよう、被災者だけでなく、既に日本で難民申請をしながら暮らしているクルドの人々についても「緊急避難措置」を適用して欲しいとお願いしました。
「難民問題に関する議員懇談会」の石橋みちひろ会長からは、「緊急避難措置」について議員懇談会でも検討をしたいとの力強い言葉をいただきました。
今回の議員懇談会の準備をされた石川大我議員と出席された国会議員の方々にも感謝申し上げます。
ありがとうございます。