8月25日の日本語教室の報告です。
この日は前回よりも多くの方が参加しました。
いつも参加する人もいれば、初めて参加する人もいます。
継続的に参加してくださっているボランティアの方から感想をいただきましたので紹介します。
日本語教室に参加させていただくようになって2ヶ月、日本で生活する外国人の方と交流していて感じたのは、「日本語がわからなくても意外と困っていないな」と「日本語がわからないとやっぱり大変そうだな」という相反する2つの感想でした。
「意外と困っていないな」と感じたのは、日本に住んで1年以上経っている人でも、簡単な挨拶と自己紹介以外はわからないという人も多いからです。
簡単な翻訳はスマートフォンがあれば乗り切れてしまう現代で、日常生活で日本語がわからないと困ることはほとんどないのだと驚いたと同時に、言語学習のモチベーションを保つのが難しい状況であると感じました。
反対に「やっぱり大変そうだな」と思ったのは、役所や銀行、不動産屋などでの事務手続きです。
日常生活の買い物と違って、これらの事務手続きは大金や契約が発生するので、窓口と相互にコミュニケーションを取る必要があります。
このような場では、まだまだスマートフォンの翻訳機能は不完全であり、日本語がわからない人の場合、「日本語がわかる人と一緒に来てください」と言われるか、英語版のマニュアルを渡されて追い返されることもしばしばあるようです。
実際、日本語教室で出会って仲良くなった友人は、日本語がわからないために銀行口座の開設に必要な手続きがわからず私を頼ってくれました。
もちろん、大事な契約を役所や不動産屋などが勝手に進めるべきではないので、彼らの対応が誤っているとは思いませんが、この出来事から日本語がわからない人の”生きづらさ”や”弱さ”を感じました。
こんな話をすると「日本に住むのに日本語を勉強してこなかったのが悪い」とか「日本は島国だから外国人対応ができないのは仕方がない」という声が聞こえてきそうですが、「外国人」「日本人」などの線引きはやめて、同じ国・町に暮らす「仲間」としてお互いを捉えることができれば、多くの人が共生し、暮らしやすい社会に一歩近づくのではないかと思います。
日本語教室では、日本語ボランティアと学習者がフラットにお互いのことを話したり、言語を教え合ったりして交流しているので、お互いがお互いを1人の人として知ることができ、人間関係が生まれています。この場所が続いたら、そしてこんな場所がもっと増えたら、「外国人」と「日本人」は自然と「仲間」になれるのではないかなと思い、今後もこの場所を支えるお手伝いをしていきたいと思っています。
社会人 A.I