10月13日の日本語教室の報告です。
この日は多くの学生がボランティアに参加しました。
午前と午後の時間の合間には、クルドのお母さんが料理を差し入れてくれました。
学生と一緒に参加した大学の先生から感想をいただきましたので紹介します。
本日は私のゼミ生4人とともに日本語教室を訪問させていただきました。後々学生から聞いた話によれば、「最初は全体で自己紹介から入るのかと思いきや、それぞれのテーブルに割り振られ、まずは個人と個人として日本語の勉強をお手伝いできたので、何ら緊張することなく自然な形でコミュニケーションがとれた」とのことでした。またクルド人の方も個人だけでなく、家族ぐるみで教室に通っており、ボランティアの学生も日本語を教えることに加え、子どもたちとゲームで楽しんでいたのも印象的でした。
大人の受講者の日本語のレベルはまちまちなので、ボランティアの方もさまざまな「引き出し」を要求されているようにもみえました。もっとも日本語ができる受講者は「発言を集約する」とか「~の右に出る者はなし」といった少し固い表現を正確に使いこなせる訓練を必要としていたので、ボランティアも日本語でなぜそのように使われるのかを丁寧に説明しなければなりませんでした。一方、日本の滞在日数が浅く、日本語がたどたどしい方には、ボランティアもゆっくりと分かりやすく話すとか、英語やフランス語なども交えて説明することが求められました。
毎週そうなのかは分かりませんが、ボランティアの日本の若者の多さも印象的でした。関東の複数の大学だけでなく、京都からもわざわざ新幹線で来た大学生に加え、なんと高校生や中学生も教室に参加していました。会話では日本に来る前と後の生活の違いや、現在の仕事と勉強の両立、今はまっているもの(アニメなど)、将来やりたいことなどについて話しましたが、時には仕事や生活に関わる生々しい話も聞くことができました。
ゼミの学生にとって一番の収穫は、「当事者の意識」に直接触れる機会を持てたことだと思います。入管や移民・難民問題に関する著書はたくさんあり、それらから学ぶことは多いです。実は今週のゼミでも「在留許可を認めない=不法滞在者=犯罪者」とみなすような意識が特に2000年代以降に国の政策の中で意図的に作り上げられ、国際的な人権基準から大きく逸脱していることを学びました。とはいえ、実際にいかなる事情で日本に来た、あるいは来ざるを得なかったのか、現在の生活で何に直面しているのかについては当事者の言葉よりも重く響くものはありません。ふだん意識して関わろうとしないとなかなか話す機会のない方々と、まず個人と個人として接する中で、だんだんと友人のような関係が生まれ、そこからすべてが始まっていくのだと改めて感じました。
なお、休憩時間にクルド人女性の方に出して頂いたパイ生地のピザとレンズ豆のスープは絶品でした。ごちそうさまでした。
亜細亜大学国際関係学部教員 OH